こんにちは、KENGOです。
すっかり革ジャンもオフシーズンに入ってしまい、どんな記事を書こうか毎週すごく悩んでいる今日この頃です。
読者さまからのリクエストもお待ちしておりますので、コメントやDMをいただけますと嬉しいです。
さて、今週のテーマは『革ジャンの歴史を学ぼう-イギリス編-』です。
今回はこのブログではあまり書いたことのない、“革ジャンの歴史”に目を向けてみたいと思います。
というのも、僕自身そこまで革ジャンやファッションの歴史についての知見がありません。
そこで!
この機会に皆さんと一緒に“革ジャン史”を学んでいこうじゃないかという企画でございます。
第一回目は“イギリスのカルチャーと革ジャン”について。
僕みたいに知見のない方でも分かりやすいように、要点をかいつまんで端的にまとめてみました。
すでに詳しい方にとってはちょっと退屈な内容になるかもしれませんが……ぜひ最後まで見ていただけると嬉しいです。
UKストリートファッション
ファッション3大都市の中でも、音楽・ファッションのユースカルチャーをいくつも生み出してきたイギリスはロンドン。
そんなロンドンのストリートファッションカルチャーというと、ロッカーズをはじめ、モッズやスキンズ、パンクスなどが有名ですよね。
そしてそれらは現代ファッションのルーツとして、今もなお根強く残っています。
今回はその中から、特に革ジャンに関わりが深いとされる”ROCKERS (ロッカーズ)”にフォーカスを当て、1950年代~1970年代のイギリスのストリートファッションカルチャーについて見ていきたいと思います。
ロッカーズの前身“タンナップボーイズ”
1950年代。
この頃イギリスでは、社会情勢の煽りを受けて職に就けない若者が溢れていたそうです。
彼らは反大勢をかかげ、自分たちの生き方を模索するように様々なカルチャーに手を出します。
いわゆる“カウンターカルチャー”というやつですね。
その中で彼らの多くが情熱を傾けた乗り物がありました。
それは“オートバイ”。
彼らは情熱のやり場を求めるよう夜な夜なカフェに溜まり、公道を駆け巡りバイクレースを行なっていました。
そこから付けられた名前が“タンナップボーイズ”。
(100マイル/時速160km以上で走る若者達という意)
そしてこれは、後にカフェレーサーと呼ばれる由来の一つでもあったそうです。
ちなみに彼らの溜まり場として使われていたのが“ACE CAFE LONDON”というカフェ。
当時、唯一24時間営業しているロードサイドカフェだったんですって。
(僕がカフェのオーナーだったら絶対店の営業時間を見直すけどなぁ…笑)
そしてこのACE CAFE LONDONは一度は閉店したものの、現在でもロッカーズの聖地として存続しているそうです。
こうして世間から危惧されていた“タンナップボーイズ”ですが、この当時彼らはまだライダースジャケットを着ていたわけでありませんでした。
(ただ当時のタンナップボーイズがどのようなファッションだったのか調べても出てきませんでした…)
ではここからどのような経緯で、ライダースジャケットが彼らのトレードマークになっていったのでしょうか。
革ジャンとの出会い
ちょうどこの頃、アメリカンアウトローを描いた作品【乱暴者(あばれもの)/ 邦題:ザ・ワイルド・ワン】というアメリカ映画が大ヒットしていました。
革ジャン好きの方であれば、一度くらいその作品名を聞いたことがあるのではないでしょうか。
主演のマーロン・ブランドが着用しているのは、ブラックのダブルライダースジャケット(アメジャン)。
そしてジーンズを深くロールアップし、足元にはエンジニアブーツ。
そう、現代でも全然通用するような王道アメカジスタイルでした。
その男臭く無骨なスタイルに魅せられ、瞬く間にタンナップボーイズたちの間で話題になったそうです。
そう!これこそがロンドンのバイカーズ(タンナップボーイズ)が、ライダースジャケットを着用するキッカケだったのです。
ちなみにこれは余談なのですが、「ザ・ワイルド・ワン」がアメリカで公開されたのは1953年。
しかしイギリスで公開されたのは1968年。
若者への悪影響を懸念して10年以上公開が禁止されていたようです。
ここからも当時のカウンターカルチャーの深刻化が伺えますよね。
ロッカーズの誕生
「ザ・ワイルド・ワン」に影響された“タンナップボーイズ”は、映画のスチール写真やポスターから伝わってくる情報を基に、悪くてかっこよさそうなバイカーズという集団の存在を知り、自分たちも真似してみようと試みたそうです。
もちろん「ザ・ワイルド・ワン」ではアメリカンライダースジャケットを着用していました。
しかしタンナップボーイズ”が着用していたライダースジャケットは、“AVIAKIT(LEWIS LEATHER)”や“PRIDE&CLARKE”、“KETT”などといったイギリス製のレザージャケット。
一説によると、当時イギリスでは経済が困窮を極めていたため、金銭的に余裕のある若者はほとんどいない状況。
そのため彼らの中には、合成皮革のを着ていた者も多かったと言われています。
しかし安価なものであるが故にオリジナルのカスタマイズを施し、彼らはアメリカのバイカーズとは異なる新しいスタイルを生み出すことができたのです。
ロックンロールに夢中だった彼らは、“ROCKERS”の白い文字に“ACE CAFE”のワッペンをカスタム。
さらにピンバッチや鋲などを装飾した、派手なレザージャケットをこぞって着るようになりました。
こうして社会からも「ロッカーズ」と呼ばれるようになったのです。
ちなみに名前の由来はロックンロールを愛してやまない事からと言われていますが、
彼らの対抗勢力であったモッズが、「ロックンロールばかり聴いているアホなやつら」という揶揄の意味を込めて付けたという説もあります。
その後ロッカーズは、対立勢力として存在していた“モッズ”との対立を経て、徐々に影を薄めていくことになります。
しかし50年以上経過した現代においても、ロックンロールやバイク、そして彼らのカルチャーでもある確立したファッションが色褪せずに残っているわけです。
これってすごく感慨深いことですよね。
まとめ
ということで今週は『革ジャンの歴史を学ぼう-イギリス編-』をテーマに、“イギリスのカルチャーと革ジャン”について調べてみました。
本当は今回の記事で対抗勢力のモッズや、後に登場するハードコアパンクスについても触れたかったのですが……それはまた次の機会に一緒に見ていきたいと思います。
普段何気なく着用している革ジャンも、こういったバックボーンやルーツを知ることで、“好き”という感情に深みが増しますよね。
革ジャンの着こなし一つとっても“意味”を感じることができるので、僕自身さらに革ジャンの魅力に気がつけたような気がします。
この革ジャンオフシーズンを使って、今後も革ジャンの歴史を探る機会を設けていきたいと思います。
良かったらぜひチェックしてみてください。
それでは本日はこのあたりで。
最後までご覧いただきありがとうございます!
↓オトコフクDXが本気で作った革ジャン販売中↓
販売累計数100着突破!
↓革ジャンに関するご相談はこちらからどうぞ↓
↓革ジャン愛好家たちの画像を集めたライブラリー↓
コメント
初めてコメントします。
いつもブログの更新ありがとうございます。
今回の『イギリスのライダースの歴史』とても参考になり面白かったです。
私は人生初革ジャンのアディクトクローズ AD01を注文していて、
今年の冬に到着予定です。
早く袖を通したくてウズウズしてる毎日です。
やはり歴史を知ると愛着がより深くなりますよね。
年代別の時代背景とライダースとの関係性。
当時のライダースブランドの事など。
今後のブログの内容にしていただけると嬉しいです。
過去のブログも読み漁り、毎日のように楽しんでます。
毎週のブログの更新は本当に大変とは思いますが、応援しています。
これからも読み続けます。
長々コメントすみませんでした。
やまだちさま
コメントありがとうございます。
僕も今まで革ジャンの歴史について詳しく調べる機会がなかったので、僕自身もすごく学びになりました。
年代別の時代背景とライダースとの関係性、当時のライダースブランド…面白そうですね!
今度はこちらの内容を記事にしたいと思います。
アディクトクローズのAD01羨ましいです!!
シンプルでとても使いやすいモデルだと思います。
手元に届くのが楽しみですね!
ぜひ届いたら感想なんかも教えてください♪
そう言っていただけると本当に励みになります!
これからも楽しんでいただけるコンテンツにしていきますので、よろしくお願いいたします。